窓口という名の箝口令による責任回避と情報統制の卑劣

泉中学吹奏楽部指導依頼非礼忘備録(事実を歪められないために)

8月31日(金)午後3時頃

 辰口福祉会館の脱衣場で携帯に見知らぬ着信履歴。ワン切りするも連絡来ず。

 帰宅後電話すると、泉中学校日本語学級担当N氏が出る。心と学び支援員のNH氏より情報を得て私が吹奏楽指導をできることを知り、顧問が半年の病休に入って指導者がいないため、私に指導を依頼したいと。後で、本来の依頼者である、副顧問?S氏より電話すると。

 同日夜、S氏より電話あり。家庭の状況により難しいと伝えるも重ねて懇願され、とりあえず、9月5日(水)4:30に様子を見に行くこととする。

9月5日(水)

 4:30 泉中学校着。すぐ2階の音楽室に赴き状況の把握に務める。

 中村小学校での演奏の通しをやりたいということで約40分近く見守り能力を把握する。

 その後40分程度、用意してきた、合奏基礎練習用のプリントを配り、生徒による練習を中心に実際に練習してみる。別のディリートレーニングのプリントも渡す。

 終了後、校長に会わされ重ねて指導を依頼される。ただし条件などの話なし。

 帰宅は7時近く。家族の介護の問題もあり、この時間帯は無理だと悟る。

9月7日(金)

 放置状態にされていたが、S氏より来週の12日(水)の4:30からの指導の依頼をされる。平日夕方の時間帯は無理と言ったが、とりあえず、もう一度行くことにする。

9月12日(水)

 4:30 訪いを告げるもS氏現れないため、音楽室に向かいすぐ指導を始める。合奏前のチューニングの話をする。15分与え各パートでチューニングし、再集合かける。(パートチューニング中は打楽器メンバーに指揮者に変わる存在として、生徒による練習をリードすることなどを伝える。)

 パートごとにベーのスケールとハーモニーをチェックする。単音だけ合わせても意味のないことを確認する。

全パートをやった後、曲「Lemon」「世界に一つだけの花」「ハイブリッドマーチ」を少々見る。

 終了後、校長教頭に指導を懇願される。平日は駄目とはっきり伝える。平日は、他の部の顧問であるK氏が様子を見るということで、土曜日を見てくれとの依頼を受ける。6時前後下校する。

9月14日(金)

 二度まで指導しながらも指導の条件を言ってこないことに、交通費・日当・事故の補償などの不安がつのる。

 知人の現役校長等に状況を話し、通常はどんな対応かを聞く。部活指導員として教委に登録することもあるし、書類上面倒であれば、校費や保護者の了解を得た部費で諸費を賄う事もできるとの。事故の保障も然りと。通常は一番最初に要請する側から話し出すことだと。言ってこないようないいかげんな対応の管理職のところはやめた方がいいと言われる。一応こっちから言ってみても良いと。

 この件について、S氏にメールを送り、7時過ぎに電話が学校からかかってくる(教頭らも聞いていたことが後で伝えられる)。

 電話で確認したことは2点。一つは私の立ち位置・野球で言えば監督かコーチーか(吹奏楽で言えば、指揮者か各楽器のコーチかということ)と、もう一つは保障。交通費や万一の事故の保障。S氏は、即座に合奏指揮者であり、謝礼等は多くは出せないけどできる限り考慮していると明言した。聞いていた管理職は異論があればこの場で言えばよかったのだ。

 以上の確認を取れ納得できたので、翌日の指導に行くことを伝える。部員の名前とパートの名簿、コーチに入っている人たちの一覧表を要請。S氏に了承される。コミュニケーションや連携に欠かせないものだからである。

9月15日(土)

 9時40分頃着。教頭に11時半にやめてくれということで嫌な予感はする。

 2時間ほど指導。10時45分まで、パート練習(10分のチューニング含む)10時45分から11時40分まで合奏とする。

 パート練習時は各部屋を見て回り指示を与える。

 10時45分から合奏。今日はABCDのセクションごとのスケール・ハーモニーによるチューニングを実施する。曲でも然りと伝える。

 曲は、「Lemon」の全体の指示を出し、最初を方を少し丁寧にやる。旋律の不明瞭さや、伴奏和音の汚さなどを指摘。合奏で指摘されたことをパート練習で一つ一つ修正していくことを強調。11時40分頃練習を終える。

 

 11時40分から1時間強、教頭と話をする。長々と言い訳がましく話をしたが、詰めて問いただすと、3日間の指導の交通費や手当は払うと(金額不明・現在まで支払われず)。指導は、本校教諭のK氏(別の部の主顧問)と、以前から、土曜日他校から指導に来ていたH氏で行うと。いずれも吹奏楽指導の敬虔はないようだが、現役のプレーヤであると。すなわち、私は不要であると。月1回ぐらいは基礎練習をみさせてやってもいいと。

 昨夜の電話でのS氏との確認が、半日で覆ったことになる。しかも管理職の意思だと確認。覆らないだろう。これが窓口論や、S氏が対応しない理由である。卑劣だ。最初から言えよ。

 私は要請されて、善意で指導しに来たのである。その時点でいかなる対価ももらっていない。むしろ自分の資料を持ち出している。恩に着せて上から目線で、吹奏楽指導をさせてやるといわれる謂われはない。馬鹿馬鹿しいくらい無礼な話である。そういうことなら指導する前に連絡すればいい。今日学校に行く前に電話連絡すればいいことだ。

 しかも、不可解なことだが、先述したように、K氏は、最初から無理だと言っていた土日にも指導するという。曲については、他人の指導が入るのは嫌だと言っているともいう(指導経験がないのに?傲慢だな)。K氏と打ち合わせなども直接させない(直接コンタクトとったらまずいのか、そんな指導ってあるか)と訳のわからないことをいう。馬鹿馬鹿しくって話にもならない。また、H氏のことは切れないという。誰も切れとは言っていないが。

 彼らの存在は、最初からわかっていたことだ。それにもかかわらず、S氏や管理職は、熱心に私に指導を懇請していたのである。それが、金曜日の夜の確認から、翌日の土曜日午前の練習を指導させてるまでに判断を覆すとしたら異常だ。非常識でもある。

 月一回の事は一応考えると言って出てきたが、一刻も早く去りたかった。管理職の意思は確認したので、月一回というのは、要請をしたことの罪滅ぼしみたいなものであり、お情けだ。馬鹿馬鹿しい。舐められたものだ。こっちの心意気に対する返礼とは思えない。

 当初の依頼の無作法に加え、それをはるかに上回る約束違反、非礼非道だ。当のS氏は、最初以外全く姿を現さなかった。既に教頭より接触を止められているのであろう。彼女はこの後こちらのメールなど一切の連絡に応えようとしなかった(今日9月20日現在)。管理職の指示があるのかわからぬが、最初から私に要請を出してきた者として不誠実すぎるであろう。

 教頭が窓口と、後から言っていたが、これはS氏を通さず箝口令をしくためであることは明らかだ。現に当該校の職員は殆ど情報を与えられていない。窓口は最初からS氏であった。管理職のこのような対応では、主顧問が悩みを一人で抱えることになったろう。病休の理由がわかりそうな気がする。職員の証言もあるのだが書かないでおこう。どんな不利益を被るかわからない。

 ともかく、事実上、来るな・関わるなと言っているのと同じことだ。言うにことかいて、近所のおじさんが月に一回様子を見に来ているような感じやってくれと(教頭が)いう。まったく人を馬鹿にした話だ。

 この後、徹底的にこちらの無視が始まる。

先ず、S氏にメールで、金曜日確認したことと全く逆なことを教頭から言われたと伝えたが、返信がない。今に至るまで一言もない。

 9月16日(日)

 当初電話してきたÑ氏に午前に電話する。N氏が、彼女は家族のことで関東の方に言っているからだ返信できないのだろうという。「あなたに指導に来てもらってきて良かったと二人で思っている、子供の為でもある。管理職が何と言おうと、お願いしたい。S氏に電話して伝える。」と語る(趣意)

 しかし、それでもS氏から連絡が来ないので、N氏に、晩、電話してみると、宅電を迷惑電話防止録音になって出ない。その後もS氏同様何も言ってこない。熱心に懇請を続けた当事者として、どうしてこのような対応を取れるかわからない。もはや何もかも信じられなくなる。

 翌日以降、しつこくならないように、S氏にメールを送っても出ない。運動会準備や運動会、その後の飲み会があったとしても、もう戻ってきているのがわかっているのだから、明らかに教頭接触禁止が指示があるとしか考えられない。そこまで接触を禁じる所以を聞きたい。

 個人のメールまで、勤務時間外にでも返事できないとしたら、信じられない。思考停止しているのか。こちらに熱心に要請しておきながら、全くアクセスを止めるとは、教員以前に人として信頼できなくなる。一言すみませんがあってもよかろう。両管理職も、12日水曜日の練習後までは、土曜日でも毎週合奏をお願いしますと、校長室で頭を下げていたのだ。

 更に、同じくN氏もあれだけ私を支持することを言っておきながら、その後、何も連絡してこない。これは一体何なのだと思う。管理職の箝口令だろう。窓口は接触させないための方便だろう。

 この事実を知っているのは、何人かいる。当該校にいるかどうかは言えない。もしいて知れたら不利益を被るだろう。彼らが何重にも保険をかけているように、私も何重に保険をかけていたのだ。教員だけではないといっておこう。かつての法の執行者などもいる。

 9月21日(金)現在、わかったことがある。18日(火)朝礼で、吹奏楽部をK氏でやっていくと告げたようだ。誰もその経過は知らない。知っているものは口をつぐむだけ。

 最初から、管理職やS氏らは、自校で指導者を調達できないと言っていた。

 K氏は家庭の事情で土日は駄目だし、現在、別の部の顧問出できないと言っていた。

 大体、主顧問の方は、吹奏楽大会前から休みに入ったと聞く。それは6月中旬から7月中旬のことだ。よって、遅くとも7月初旬には病休に入っていることになる。そこから2ヶ月ほど指導者が不在だったわけだ。

 それが。今頃(私が条件を確認した9月14日花金の晩か翌日休日土曜日の午前)、つまり、9月中旬にのこのこと手を上げて出てきたというのだ。たった半日でねえ(笑)。K氏やH氏に、短期間でどうやって連絡・確認とったのだろう。そんなすごい手腕があるなら、周りを巻き込む前に2ヶ月もかけず解決しろよと言いたい。

 彼らの言い訳は、矛盾に満ちている。K氏の話は、2回目の訪問の9月12日(水)に初めて出ている。その時は、平日見守り的な役割という話だったのだ。そういえば、最初コーチみたいな存在が二人とS氏は言っていたが、後から「実は」と、諸々出てきていた。最初の不信で警戒信号がなった。

 自校で調達できるなら最初から依頼しなければいい。自校で調達できるなら、それに越したことはないことは、もちろん理解できる。

 そうでなかったから、私のところまでもってきたのではないか。K氏の存在は私でも知っているし、彼女の名が12日に出たときには、私は辞退すると言ったのを、校長室で押し留めて懇請したのは誰だ。両管理職でありS氏だ。

 それを違えた非礼を詫びるでもなく、どこまでもごまかし続ける。彼らとは少なくも密室で単独で話せない。ボイスレコーダーが必要だ。

 正直に管理職担当者ともども謝罪すべきだったのだ。自分たちは相手のことも考えずに保険をかけすぎたのだと。そして振り回したと過ぎたと。約束を反故にしたと。最初の無作法謝罪したが、卓袱台返しの説明と謝罪はなかった。

 主顧問のN氏は、管理職に多忙の解消を訴えつつ、改善されず、疲弊し病休に入ったと聞く。私へのこんな扱いから想像すると、そうならざるを得ないであろう。

 今こうするくらいなら、この時点でK氏が出ていれば問題なかったろう。同じような場面は5年前にもあった。指導者が異動し、望んでなかったNH氏に顧問が回っていった。今回は断固断ったらしいが。そこでもK氏はいたのだ。

 私はもう巻き込まれたくない。そのきっかけを作ったのはNH氏だ。私に無断で名前を出した。しかし、彼女は悪意ではなかろうから責める気はない。

 責められるのは、密室で事を進め、無分別に周りに当たり巻込み、最終的には切り捨てる、管理職の対応やそれに追従する職員たちだ。

 土曜の夜は、寝れなかったし、夜中に血圧が170ほどに上がった。今日も、これ以上長引かされるのを避けるため、事態を強制終了はしたが、無念で血圧が170と上がっていた。出先で意識を失いそうになったから帰宅して測定してみたらである。こんなものに私を巻き込んでくれるな。命を落とす。

 生徒たちはどう思っていたか知らないが、私は要請され嬉しく指導はしたかった。最後と思って命がけで指導したつもりだ。準備もした。持てる資料も寄贈するつもりだった。この気持を踏みにじった者は誰なんだ。恥を知れ。

 まだとっかりの段階で中止になって無念で仕方がない。月一回や曲をやらせられないで指導できるものではない。吹奏楽を知らなさすぎだ。

 K氏はバンドの現役だし、その人脈を使って、指導経験はないとはいえ、やれるかも知れない。しかし、アンサンブルや来年の準備もありたやすい事ではない。最初からやればいいのに。主顧問のÑ氏も助かり病むことはなかったのではないか。

 彼らは最後まで正直ではなかった。今日私が別の人に依頼し取り持ってくれた一番手の(私の)窓口(笑)の方に、管理職が「彼ら管理職と私の希望が合致しなかった」と言ったという。噴飯ものだ。よくも嘘を言えるものだ。先に書いたことを繰り返す。私は彼らの要請に応じたぞ。

 S氏も、管理職も少なくとも14日(S氏)、12日(管理職)までは、はっきりと、週に一度でも二度でも来てくれと、平日来れないなら土曜日でも構わないと。曲の合奏を含め指導は全面的に任せたい・お願いすると言っていた。まさにその希望・要請に合わせて指導に来たのである。

K氏の出動を知らされ、私は12日に辞退さえ申し出ているのに、指導を要請され、彼らの希望に応じている。完全に一致させている。嘘を付くのではない。

 にもかかわらず、15日午前には、月一回だけ指導させてやる。基礎練習だけ。事故の保険はかけれない。とのたまわったのである。卓袱台返しをしたのはどちらか。音声データでもとっておけばよかったのだろうか。

 彼らは雁首をそろえ、私に謝るべきだ。

 もし、生徒にはしっかりいけなくなった理由を説明してもらいたいものだ。良くも安易に弄んだものだ。その事実に関心を持たず、苦しんだ同僚も助けようとしなかった職場ってなんだ。

自分たちからアプローチしておきながら、ちゃぶ台返しをし、窓口という名の箝口令を敷き、私を孤独と不安に追いやった人たちは、石川教育の聖地と言われる、石川師範の地・教育の泉に立つ教育者である(笑)。

付記 9月22(土)午前10時40分頃、返却を求めた資料と、教頭の弁解と、普通為替証書5000円が届く。5000円は突き返そうと思う。礼はあったが、金曜日の確認を違えた謝罪は一言もないことに、姿勢の本質が伺える。

 「複数の指導体制」?それは否定しない。しかし、船頭は一人だ。それは私だと金曜日確認したはずだ。教頭、あなたも聞いていたはずだ。

 しかし、土曜の午前の確認では、私は実質不要と教頭は言った。月一回の指導はオマケ・振り回したオワビ的な意味合いだったことを確認している。

 資料のコピーは、昔、私の指導下限定で黙認を受けたものだ。全く、生徒の指導以外、不愉快な命を縮める1ヶ月であった。

教頭と最初から窓口であった副顧問の卑劣さはこれが現職の教員かと思えるほどの卑劣さであった。