在宅介護になっとる。なぜか。権力はしたたかだからだ。

M県会議員に、ここ20年からの特に今年1月からの、母の入院経過の文書と資料ををメールで送り、現在の窮状を訴えた。趣旨は、国の政策の起因することを訴えたかったのだが、どうも伝わらなかったのか。読めば明白だと思うのだが。

なしのつぶてなので問い合わせたら、驚くべき返事が返ってきた。

「県から病院に連絡いっています。ソーシャルワーカーから連絡ありませんか。。」

私がメールを送ったのは、先先週末の修正メールも含め12日土曜から13日日曜.14日月曜の連休にかけて。

週開けても、Aさみと連絡取れず、15日火曜か16日水曜辺りに、N尻がコンタクトしてきて、更に彼女の指示に基づき、看護師O田が木曜日からの看護師手技練習の計画を持ってくる。在宅介護用のようだがわけがわからない。

また、17日には、O川医院に診察に行き、介護医療院の視察結果を伝えると、企業団病院の動きと同調するように、医療や介護サービスが一番受けられるのは在宅介護だと言い出す始末。この日の夜の御書講義は大失敗した。

この時点でもAざみソーシャルワーカーから連絡はない。そもそも彼とは連休明けからコンタクトとれなくなり、代わりに、転院した時に係だったN尻看護師が彼に代わるように私とコンタクト取り出したので、Aさみがさじを投げたと思ったくらいだ。そして、なぜか、先に書いたように、在宅介護のために看護師の手技(経腸栄養全般。排便を含む排泄処理。吸引吸痰操作)を一週間学ぶ計画をたてられた。それが先週中ごろだ。

そして、今週月曜日には変なことが重なった。

朝行ったが入浴なのでいったん帰るり戻ると、母の左耳にガーゼが貼ってあった。血が出ていたと。かなり痛がった。火曜日に外すと瘡蓋の血塊が取れた。何をされたのだ。

車イスに乗せる介助をしてくれるはずのWたなべが来ない。

集団リハはあのKたむら。

この日の昼過ぎに、N尻・Aさみ・Oかもと師長、O田担当看護師が集まり、手技の振りかえり会。その場では、国の決まりだから早く出ろの大合唱。どこも気に入る施設ないなら在宅介護せよと。

私はその後、Aさみの推奨したNいちのきを見学に行くが残念なところ。ついでに、Iけだ病院の特養と老健を訪ねるが、P-TEGは受け付けないと。病院に帰ってAさみと相談するとあそこは医療のハードルが厳しいらしいと。症状の面倒な人は受け付けないらしい。

夜戻ると、よく見かけけて愛想は良いが本心は全く読めない看護師が担当。母は、彼女に体の側の栄養ホース口を触られると激しく首を振った、よほど痛いこと・嫌なことをされたのか。

今夜の担当も変だった、Y田だが、6時に経腸用の白湯を持ってきた。そして人がリハビリのため仰向けにしていると、そのまま傾聴するのかと問うてきた。頭に来たので7時からではないのかというと引き下がっていった。その後は、彼女は来ず。Oおたきという副看護師長が来た、栄養投入の時もだ。気分悪い一連の出来事だ。

なんだか、退職に至った、介護のための自宅近くへの異動を願い出た時と似たような感じになってきた。彼の尽力で比較的近くに動けたのはいいが、前と比べ物にならないほど過重な仕事となり、退職を余儀なくされたのだった。彼は善意でしてくたのだが。こういう動きをよく思わない輩がこういう形で復讐したのだろう。そこの職場の人員配置や仕事量まで読み切ってやっていることは間違いないからだ。またしくじったのか。いや、魔は見破れば魔ではなくなるはずだ。