絶飲絶食(絶飲食)

この無情な絶望的な掲示板に一年後再び巡り合わされようとは。

昨年4月初旬、あじさいの郷の知識もスキルもない食事介助で酷い誤嚥性肺炎を引き起こされた。CRP9台にも至る重篤さであったが、三日後の嚥下テストに合格、食事が一部始まり、一週間後には3食復活した。南ヶ丘病院での3食介助に続き、この松任石川中央病院でも朝は無理でも昼夜と2食介助し続けた。

そうして5月下旬に退院したが(この時薬剤師の説明で本来服用すべく降圧剤の4倍を処方されていたのが判明し驚愕した。また、看護サマリーがでたらめなのにも驚いた)、今度は、南ケアでの食事をきっかけにまたも誤飲性肺炎。家に二泊しただけで病院に逆もどり。

二度目ということか、CRPは3台と低いのに、嚥下テストは8日後、すでに、唾液嚥下不全の様相を呈しており、テストをせずとも明白な状況だった。この後、6月下旬のピーテグ手術まで1か月。末梢栄養点滴で血管が漏れ、体中内出血だらけ。吸痰や酸素飽和低下も目立った。体重は23キロぐらいまで落ち、骨盤付近など骨と皮だけ、見舞いにした市議など目を背けるありさまだった。まさにこの世の地獄の様相を体感していた。

手術の成功し、栄養ルートを確保するも、一足にはいかず、特に下痢便や痰が酷く苦しめた。

つるぎ病院に追い立てられた8月初旬。まず発見されたのがびょうげんせい大腸菌による下痢であった。これは時系列から見て松任石川中央病院から受け継いだものなのは明白だった。更に、尿路感染による高熱も何度かあった。また細菌性結膜炎にも罹患された。

しかし、高齢者にとっては命取りにもなりかねない、ディサービスが起こした誤嚥性肺炎は、あの南気が丘でさえ防御したし、在宅でも完全に防御出来ていた。

最近は、口から200Kcal程度のプリンや杏仁豆腐などを完全側臥位とSTの介助の元可能にさえなって、経腸栄養を一食経口に置き換える目標を立てていた。その矢先にこれである。この地域の介護施設も病院も母の命を削ごうとすかの様だ。絶対に許せない。考えの浅い新米新採用の看護師がロックをしなかったようである。ロックの存在自体を知らなかったようだ。

病院看護組織として異常すぎる。この企業団は。