その主張はシンプルである。
終末期に至ると、水分や栄養を次第に減らしていき枯れさせるのが、患者本人にとって一番楽なことであると。。
経管栄養に伴う、唾液痰上がりや喉頭痙攣様症状、誤嚥性肺炎の繰返しなどを在宅で見るにつけ、私も、本当の終末期では、多分そうなのかもしれないと思う。
では、終末期とはいったいいつなのか、ちなみに私の親は在宅医や言語聴覚士からは、在宅当初から、少なくもこの一年あまりから言われている。
ゆうの森のHPや訪問看護師によると、逝去の1週間前あたりからだそうだ。この辺りから、尿の排出困難など、様々な生理的身体的徴候が明白になるそうだ。
これは何だと思った。終末期を明白にしないと、餓死や渇死に強制的に至らしめることにならないか。
昨日朝、母がめったにあげない意思を持った発声があり多分水分を求めた。その前日500mlしか入れれなかったことや、病院では自宅に比べ約400ml/日水分が少なかったことを鑑みて、また唇のカサカサを見てそう思った。
渇きが苦しかったことこその発声だと思う。
「水分や栄養を次第に減らしていき枯れさせるのが、患者本人にとって一番楽なことである」。これは本人が主張したのだろうか。まずないだろう。がんの苦痛などで意識があってそう主張することはあろうが。この場合は考えにくい。
400ml/日水分が少なかったことで、どんなことがあったか。この一番の影響は、今までほとんど見なかった、粘度の高い白い痰の吸引であった。カテーテルが詰まるかと思うほどの粘度だった。
また、尿量が減り臭いが強くなった。
当初は、唾液上がりも少なくなり、したがって、飲みこもうとして飲めない緊張から起こると思われる喉頭様痙攣も起こらなかった。
800ml/日の栄養は決して、終末期の栄養量ではないが、下手するとその時の症状に通じることがあるのではないか。
今朝、喉頭痙攣様症状が起き、経腸継続が危ぶまれたが、収まった後は継続できた。これは消化管の処理能力の問題ではなく嚥下の問題だからだろう。