知の巨人、立花隆が達した結論は、死が無であることだ。
故に、遺体はごみとして捨てよとか蔵書を処分したわけだ。
しかし、一方で、生命の連続体の一つとして、また、自身落ちの業績が人類の全体知の一部として、永遠に連なるようなことを考えた様だ。
物質循環論的な生命永遠よりはマシかもしれない。
しかし。そのような特別な能力・業績を持たぬものは、永遠ではないということになり、この事はずいぶん昔に二代会長も指摘していた。
また各人の生命相の違いに不条理は感じないのか。この不条理を知の巨人はどう解決したのだろうか。
仏法のように三世を持ち出すのか。
私の立場は、不条理と感じるのは人間だけだということだ。他の生命には条理も条理もない・感じない。これが実相ではないかと思う。
ホーキングが言うがごとく、神はギャンブラーなのである。
しかし、これも、理がないと言っていることと同じで、物理法則などそれなりの理がある世界相とは矛盾することになろう。