特養ホーム利用者死亡 上告見送る方針(日本テレビ系(NNN))

何につけ、~ですが、と関係者・現場者ぶって、結局は言い訳するものをよく見るが、大抵関係者ではなく、そうであっても無能な者である。
嚥下機能の障害は高齢者に顕著なもので誰もなりうる。しかし、それが寿命や死を意味せず、適切な両方が行われれば生活の質をある程度保てる。
問題は、その知識や技能を有する者がすなわち供給が、高齢社会という需要に対し、極端に少ないことである。
実質スキルを持っているのがST・言語聴覚士と呼ばれるる人々だが、大きな病院に一人いるかいないかだ。介護施設等には殆どいない。
かつそのスキルもバラバラである。正しい知識と吸引の技術を持ち、リスクを冒して食べさせる者はわずかだ。殆どのSTは年齢相応とか老化現象だからと知識やスキルのなさを棚に上げ放置する、せいぜい、食べることに殆どつながらないパタカラ体操を繰り返すだけだ。

介護などを、まるでボランティアや慈善活動の様に書き込む者がいるが話にならない。愚民化政策の直接の始まりは中曽根にまでさかのぼれよう。小泉を経て安倍で完成した。介護制度は、保険料を払ってサービスを受ける国の制度である。国民は介護を受ける権利があるし、従事者は適切なサービスを提供する義務がある。
しかし、実際は、医療の姥捨て山となっている以上そのサービスの質は低下する。それはそれぞれの従事者のスキルや育成システムを見ればよく分かる。決して従事者を非難しているわけではない。介護は医療や看護以上に専門的能力が必要だが、育成システムも報酬も安上がりに抑えられている。もともとその出自が、医療費抑制のための高齢者切り捨てだからだ。