低栄養

I井医師は低栄養といった。1度目はともかく2度目の入院では23kgぐらいしかなかったはずである。それでいて栄養評価は1度目と同じくCとされていた。NSTのメンバーに見て貰ったらその骨盤の肉のなさに驚いてD(最低ランク)と明言した。

1度目の入院の退院時は26.5kgくらいだったはず。これはMヶ丘退院時の27.5kgより1kg落とされている。カロリー摂取目標が、Mヶ丘の1000から1100キロカロリーに対して、ここは900キロカロリーとしていたから当然落ちよう。そして、二度目の入院時、H道は二週間ほどビーフリード二本の420キロカロリーでやり過ごそうとした。つまり、衰弱死させようとしたわけである。嚥下絹の回復を記するなら、末梢から一時的中心静脈もあり得るのだが、先の短い老人という予断から、一顧だにもしなかったようだ。

一度目の入院時の食事介助もMヶ丘同様避けがちだったことを考えれば、そして、例の降圧剤4倍服用も加えれば、つまり、主治医と病棟看護師・薬剤師ぐるみで低栄養におとしめていったと言える。