漸くビデオを見た、この放映はまさに医師が選択を迫る二日前の6月5日、嚥下検査の後の症状説明会で宣告選択を迫られたのが6月7日である。
日本でも消極的安楽死が行われつつあるのはマスコミでも取り上げられていることだ。
しかしこの放送を見ると、欧米や世界スタンダードと日本の医師は言うが、議論の積み重ねやサポート、実施基準や倫理が全然違うことがわかる。日本の医師は、人道や人権より、高齢者の遺棄や資源の最適配分、医療費の抑制が念頭にあると強く感じられる。少なくともH道医師はそのことを口にした。こいつやはり、非道・外道医師だとつくづく思う。
彼女の場合は自分の明白な意思である故是非もない。ただ、最後の最後に姉たちが、本当にいないんだなと翌春感じ、会いたいなと無性に思うと言っていることが心に残る。
一方人工呼吸器で延命を選択した人。その娘さんが、(本人の)からだがある・会えるということが、(娘さんにとって)かなり大きいことだと言っていることも印象に残った。家族にとって不在は耐え難い苦しみであることは間違いない。
いずれも、それなりの家族のサポートがあったのが幸いではないか。
母の場合は私だけであり、私の場合は誰もいないことが、組織の現状から考えても自明であることがとても悲しい。