N医師、KSTに共通すること

KST、来ていきなり、今後どうするつもりか長々と話し出した。関係者に伝わっていないと。今そんな事はなす場なのか。

この人は治療・施術に来たのではないか。それを差し置いて、時間も2単位40分と決まっているのに、各断片な情報がすべてかのように自分の知見だけで断定的な話をする。しかも患者の枕もとで、大声で。患者は、何が何だか分からず不安になることを分からないのか。

同じことがN医師にもあった。この点、共通する。本来の業務を差し置いて患者の枕もとで、診察・治療中の時間に長々と議論する。これらの人とNの家は利害が同じ様である。介護保険での介護を推す。言っていることは分からんでもないが、少なくとも場が不適切だ。

対する訪問看護のFは、呉越同舟しながらも、報酬の高い医療保険での訪問看護を望んでいることを代表が明言している。

どちらもその本質は自己利害ではないか。枠があるからといっているが、今枠を超えているわけでもない。どちらの枠に比重を置くかである。

うちとしては、医療保険による看護・介護の方が助かるし安心ではある。丸め込みもあるが、負担限度額が設定されているので、いわば無限の枠が使える。医者はそれを悪用して高い素材を使うこともある。

介護保険はそれこそ枠内でしか利用できないし。介護等級の枠の限度額を超えれば自費になる。

この人たちは自分関係の施設もよく紹介するが、宣伝ほどではない。みんな自己利害が優先だ。

このことが明白になったのは、先月コロナ騒動でレスパイトを休んで特指示を取れなく介護保険の利用になったことから始まる。以前から、介護タクシーに利用したNの家の代表が、集金時看護中を母の様子を勝手に見ていた。また、KSTを通じ医療的な看護が必要なのかも聞いていたようだ。つまりリクルートをしていた。そして、今回、医師繋がりから利用しょうと考えたのである。そこから、N医師やKSTの行動もあった。代表が、私の頭越しに、ケアマネと相談するとも言った。ふざけた話だ。どうも、この辺りから本質が出てきたようだ、