#赤とんぼ・こんな別れ方は嫌だ。

昨日か一昨日、家の前の道路を赤とんぼが一匹飛んでいた。たった一匹だったが低地で見られるということは既に秋が進行しているということだ。時は、人の心とは関係なく流れる。

8月27日午前1時過ぎから5時過ぎの間のたった4時間に、ミクがカギをかけ忘れたらしいガラス戸をこじ開け外に出て行った。朝、経管栄養の始まり時に空いているのに気が付いた。

このようなケースは時にあった。ただその場合ほぼ即時的に目撃しており、後追って家の中に追えることができた。この時は4時間御の幅があった。

勿論すぐ探しに出た。家の周りにも、近隣にもいなかった。この時は、まだ多少たかを食っていた。遠くには行かない猫だったし、暫くすると家に戻る猫だった。何より、追い込むと、家の玄関などに逃げて家に入ろうとする猫だった。一つの懸念は、左隣家が、別町会で、昔から何かと猫に因縁をつけてきて、うちの猫という証拠もないのに、庭にふんがあったと言って、我が家の敷地に投げつけてきたり、外で、毛すきをやっていると、毛が飛んできたと文句を言う家でもあった。

この隣家が、猫を捕らえ、どこかに捨てたり用水に投げ込む可能性も無きにしも非ずだった。朝早くから植物などの世話をする人でもあるが、とにかく利己的な人だ。

昨日は介護の合間に一日中何度も探し続けた。少し遠くまでも。保健所や獣医にも連絡した。全く気配すらなかった。

これは本当に考えられない。脱走することがはこれまであったが、家の周囲か、せいぜい近隣の植え込み、側溝の中程度であった。遠くに行ったことはない。気配を感じ追いかけられるのを楽しんでいるかのようだった。

今は全く気配がないのだ。勿論家にも寄り付いてはいない。

私に特になつき、膝に乗りたがり乗るとゴロをふき、最近は寝間を開放しているので、私が横になると傍に来て、鼻や髪を舐めたり僕の顔をずっと見ていたりしていた。

飼い始めたころは、真冬で、寒いのかニトリの布箪笥に上り見下ろしていた。箪笥はボロボロになり捨てたが、寝間の和室に色違いがあり、最近はそれに爪を立て上り始めた。久しぶりでとても懐かしく思った。そんな姿まで思い出させてくれたのかこの猫は。。

考えられるケースは幾つかある。

1.遠くに行かないはずだが、野良猫などに追いかけられ縄張り以外に出て迷っている。

2.誰かに捕捉され、遠くに捨てられたか用水に投げ込まれた(前にいなくなった猫もその可能性があった)。

3.本当は体調悪く、静かなところで休み、そのままなくなった。

 

私が推測するのは2.である。

白い影が視界に入ると、玄関はしまっているのに猫かと思う。

私は、大切なものは人生で母とこの猫しか残っていなかった。

何故、運命は大切なものを、いともたやすく奪っていくのだろうか。

悲しみ・苦しみは有無を言わさず続き、人間はそれに黙って耐え続けるしかない。

或いは、何とかそれに意味づけをして、乗り切ろうとする。

でも、天才ホーキングが言ったように、神はギャンブラーで物事に意味などないという。

ALSという理不尽な運命に翻弄された博士が、最後にいった言葉だからこそ重い。この世に意味などあるのか。少なくとも人間以外にはなかろう。

 

今28日9時40分、近隣の人に、朝早い新聞配達の人が見なかったか聞いていてくれと頼んであったのを伝えに来てくれた。見てないと。

猫のこと語っていたら、初めて涙が出てきた。多分こらえていたか気づかないようにしていたものだろう。私の傷は深い。

この猫で大きく涙した記憶は二回。前は、子宮蓄膿症になって、一歩遅れれば生死にかかわると聞いたとき。大事な猫なので絶対になくしたくなかった。