盆暮の墓参りや帰省という経験がない。母の母は無縁墓地、母の父不明、私の父も不在。親戚づきあいは全くない。小さいころから家族にまつわる行事の経験は全くない。母を責めても仕方がない。母もそうだったのだから。

人は、もともと、そして、最後は一人なのだと賢しら気に言う者がいるが、このような境遇へのシンパシーがなさ過ぎるのを露呈している言葉だ。

72時間で、増上寺の七夕祭りの取材があったが、父の残した店を守る母娘の、婚期を逃して老い始めている娘が出ていた。いつも喧嘩するが、喧嘩する相手がいるだけマシ。猫も飼っているが(いくら癒されても)猫はニャーとしか言わない。などと言っていた。全くよくわかる。

左隣人が、家を出た子供たちが帰省してBBQをやっている。このご時世に、家族繁栄を誇示しているのか。退転者というが、そんなこと全く関係ないように一族繁栄しているようだ。悔しいし不条理と思うがどうしようもない。

国土交通大臣の存在にもかかわらない現実と立正安国論の関係からも、すでに明らかだろう。義農の世とはならなかった。人生は一度きりだし、その割には酷く不平等不条理であることが現実だ。