#何かが間違っているのではないか

今の在宅医は、当初から、唾液や痰の上がりが多かったり、逆流があると、処理能力が追いつかない、衰えると言った表現をよくする。処理能力が具体的に何を指すかも説明しないが、多分消化吸収力なのだろう。そして。その低下が、終末期や終末期が近づいていることを表しているので、栄誉や水分量の減少を言う。しかし具体的な数字は一度も示したことがない(かかりつけ医だったO川医師は、一時的に600ml/日を主張)。

しかし、唾液や痰の上がりや逆流が、処理能力の低下とどうつながるのか、わからない。現在実際にそういう状況に直面しているのでそうも感じられるが違うのではとも思う。現に病院の結論では、腸管の閉塞もないし便の排泄も良好であるとされている。消化能力の低下や経管栄養の中止を疑う所見はないとされたのである。

これらの症状の原因は、独特の経腸栄養形態やベッド上の大尉による原因を考えたほうが現実的だ。もっとギャッジアップ角度をつけることや栄養形態、速度、体位である。

そもそも。ベッド上に寝た状態での食事(経管栄養)なんて、通常でも嚥下しにくいし逆流も起こりやすいであろう。母は噴門が開いていることもある。

現在は10度から20度ぐらいの角度。これはK・ST氏による完全側臥位理論に基づく。高ギャッジアップによる唾液貯留による酸素飽和の低下の解消に有効だったので、在宅ではこちらを傾いている。

しかし。大きなデメリットもあった。少なくとも、低ギャッジアップによる経管栄養の逆流・誤嚥で、誤嚥性肺炎を2~3度経験している。これ以外の原因は、ディサービスにおける昼食の摂取によるものだ。

では、病院など殆どの医療関係者が推奨する、高ギャッジアップでいいか。これも疑問が残るのである。

そもそも、私が母の誤嚥性肺炎を発見したのは、ディサービス帰宅後のぐったりした状況での、スポーツ用パルスオキシメータで測定した酸素飽和濃度84という数字によるものである。

この酸素飽和濃度低下には、恐怖というべきトラウマがある。多分記録を調べれはわかるは、大腿骨骨折入院でのMが丘病院でも後半から頻度は少ないがみられることがあり吸引も頻度は少ないが、誤嚥が疑われるときはあった。

MI中央病院の最初の入院の終盤から頻度が多くなったという話や記録がある。唾液・単上がりとともに多く見られるようになったのは、二度目の入院の末梢点滴時による唾液単上がりの増加時などからである。

T病院のときなどは、高ギャッジアップ側臥位で息も絶え合えなか大をしていたので、測ってみたら、76という衝撃的な数字をみた。この頃は、K・ST氏による完全側臥位理論・低ギャッジアップを知っていたので、婦長を交えて強硬に主張し低ギャッジアップにしたところ、酸素飽和が正常に戻ったので強烈な経験になっている。

つまり、高ギャッジアップは、唾液等の貯留による、窒息や唾液誤嚥を免れないのではないかという疑いが拭えないのである。

低ギャッジアップによる経腸栄養逆流による誤嚥、これは、経験上ほぼ確実に誤嚥性肺炎を招く。経腸栄養が高栄養だけに最近も繁殖しやすいとみられるからだそうである。

高ギャッジアップによる唾液誤嚥は口腔ケアを丁寧に行っていればリスクは低減するそうである。吸引できず歯磨きテッシュで丁寧に拭き取っていた頃の経験からもうなずける。しかし、唾液の貯留による酸素飽和の低下や窒息の恐怖がある。そうと思われる経験もある。

そもそも、経腸栄養は嚥下できない人に行われているのだから、高ギャッジアップすれば、唾液の貯留による酸素飽和低下や窒息は必然ではないかと思われる。

でも、高ギャッジアップが安全性が高いということで、病院等医療関係者で主流の考えであることは間違いない。一説によると、全く飲み込めないわけではなく、(食道)に嚥下しているともいわれる。また、一日に出る唾液は2リットルにも達するが、その多くは再び体内に飲み込まれそのまま水分量低下にはならないと聞いている。だとすれば貯留した唾液の吸引は再吸収を妨げる事にならないかと危惧する。

しかし、一方で、昨年末ぐらいのレスパイト入院の退院後から、唾液の貯留を飲み込もうとして飲み込めず喉頭付近の筋肉の緊張が高まってか痙攣を起こすこと頻発している。この原因は明らかにT病院にあると思われる。在宅ではみられなかったことであることと。効率を求めた不適切な吸引を何度も目撃しているからである。

一例を上げるなら、マイナス30という高陰圧からの吸引や広口径(通常12だが14の使用)カテーテルによる吸引、ごリゴロもしてないのに、ルーティン化された不要な吸引などである。これらによって喉頭が過敏になり痙攣を誘発したことは考えられないことではなかろう。この痙攣は、栄養が減少していること唾液・痰上がりと並び、ひどく私の心を苦しめている。本人の苦しみはいかばかりであろうか。

ちなみに、瘻孔から漏れるものには三通りある。腸液の混ざった逆流栄養液、嚥下した唾液や痰、両者の混ざったもの。すなわち一部は嚥下されているというのは多分事実である。全てはギャッジアップにより消える。すなわち、下降していく。

最後に、訪問看護ステーションの管理者から、このような現状に鑑み、経腸栄養から中心静脈栄養への置き換えを提案されている。これを決めるのは医師であり彼らは否定的である。しかし母の現状を毎日みているのは看護師でありその報告を聞いている管理者には一定の説得力がある。私の思い(母により長く苦しまずに生きてほしい)も理解した上で、他に方法があるのを選ばせないで「後悔させたくない」という思いからであるとのことだ。

ありがたいことだが、疑問もある。なぜならこの人は、有能であると同時に、基本的にナースファーストの考えを持っている部分があるという印象があるからだ。

過去に二度切られたことがある。まず、それまで夕方の訪問が5時半だったのが5時に変更されたこと。看護師に残魚手当払いたくないからだとの理由だが、医療保険ではなく介護保険だと点数が少ないからだろうか。もう一つは、昼夕と特指示もあり二度訪問があった時代、コロナで入院受け入れがなく特指示が取れず時、夕方1回になった。やがて、レスパイトが復活し特指示も取れたが、夕方1回のみを主張した。理由は1回でやれていたからと。これも再交渉で二回に復活したが、本当の理由は顧客像に対応するためであった。

今回の提案も、中心静脈栄養のほうが看護師が管理しやすいからであろう。もしくはしてくれる余地があるということだ。今の経腸栄養は、看護師が全くタッチしていない、経腸中の状況もみたことないわけである。実入りも大きのかもしれない。

しかし、今まで述べたことをすべて勘案しても、母の体は、かつての1.7リットル近くの栄養水分を受け入れがたいであろう。一日600mlで何年も生きられる方も珍しいわけではないとの在宅医の記述もあった。希望は捨てずに痛い。

報われない母の最期と孤独を意識して、最近救われないほど鬱である。