おせちのない年末年始

母の経管経管栄養の下、二回の正月を過ごした。必死だった。正月を迎えれることが大切だった。おせちも購入し、一人で食べた。年越しそばも作った。

もう、空しいことはやめよう。やめればそれ以上に空しいだろうが、新年を祝う気になれない。

まだ体力があったころ、母は大掃除や正月料理に精を出していた。黒豆や筑前煮、紅白のなますなどは自家製であった。

生きるためにこれだけの努力をしてきた人が報われない信仰なんて信じるに値しない。

神田沙也加は何故命を絶ったのだろうか。両親は、このようなクリスマスプレゼントやお年玉を娘からもらおうとは思ってなかったろう。

彼女の行為は余りにも自己中だ。しかし、そうとしか生きれなかったのだろう。

神はギャンブラー、ALSに生涯苦しめられたホーキングはそう叫んだ。意味や必然を求めても何もない。