在宅死より病院死・中村メイコ

家は、生きている人が元気で暮らしていくところだ。

そんな場所に酸素吸入器などの機械を持ち込んだり、医師や看護師を呼び込んだりするのは、如何にも不自然だし、家族も滅入ってしまう。

近年の風潮からは目からうろこの指摘である。

家族にとって住み慣れた自宅で死を迎えるのが良いと思っていた。病院での看護は所詮他人事である。

一方で、在宅介護や看護は、家を施設や病院にしてしまうことは、在宅介護・看護をやっている人は実感しているはずだ。

病院や施設から追い出さされて、家族が介護士や看護師の役割を担わされているのだから。

公的医療保険料や介護保険料を払いながら、在宅介護・看護をさせられるのは、噴飯ものである。

病人や被介護者を責めるのではない。しかし、在宅介護や看護は、家族の生活や未来を著しく奪うことは、現行制度では、疑いのない事実だ。美談で隠しているだけ。

私は、朝の6時前から夜中の2時前後まで、母の看護介護に追われている。経管栄養中も危険が伴うので枕もとを離れられなくなっている。

レスパイト入院も受け入れてくれなくなり、というか、症状を悪化させたり雑な看護で命に及ぶミスを犯しそうな病院は、こちらから願い下げである。

また市の看護介護のモチベーションは何か。

唯一無二の家族であるということと、彼女を裏切らないためである。

母は、男や信仰や組織・同志に裏切られ続けてきた。愚直に励んできたにも拘わらずだ。せめて、私が裏切る訳にはいかない。先に私が死ぬことになるかもしれないが