クラスターの欺瞞性

新型コロナに対して、ある日突然くまさんがー、、ではなく、クラスターなる言葉が頻発するようになった。そしてクラスター対策班なる厚労省の特別機動捜査隊が全面に出てくるようになった。

クラスターとは、感染者の小集団。ただそれだけである。

これって、人混みの中では伝染りやすい、感染しやすいという経験則以上のものではなかろう。なぜこんなものに血道を上げる。

1.クラスターは感染者の小集団であるということから論理的に感染を前提としている。感染を前提としたものが感染防止策とは、大きな論理的矛盾である。

感染防止とは感染させないことである。感染させない前提として、感染しているかどうかを調べる必要がある。それには検査しかないのである。

2.クラスターは固定的なものではなく、流動的、場合によっては偶発的なものである。こんなものを追尾してなんになるのか。せいぜい人混みに気をつけなさいという教訓程度である。感染させるのは感染者であって、クラスターではない。感染者を確定するのは検査だ、クラスターというのは、単に感染しやすい状況でしかない。

3.クラスターは、クラスター化されていない感染者を見えにくくする。すなわち不顕性感染=隠れコロナを見逃す。そして、感染爆発の真の主体は実は、この隠れコロナである可能性がある。それは、クラスターつぶしを繰り返しても、感染拡大が収まらないことからも傍証される。

4.クラスターは、感染を前提としている以上、感染拡大によっていずれ追尾できなくなる。つまり、感染経路不明者の増大である。こうなると感染爆発は手を付けられなくなる。

 

以上のロジックから、クラスターは、人混みの中では感染しやすいから気をつけなさいという以上の、感染防止効果への期待は薄い、と考えられる。こんなものに血道を上げるのはそれこそリソースの無駄遣いである。

押谷教授や厚労省クラスター対策班、及びそれに乗っかった政府は、日本の感染拡大・感染爆発のA級戦犯である。