1月レスパイト12日目

午前 担当者会。Hは嫌な感じだなー。

昼 実測体温35.6。酸素飽和96。

どちらも、基準内だがやや低い。特に体温。

看護師は、HとA。しっかり掲示してあった。まとも。

排便が心配。あまりしっかり出していない。明日夜まで看護師こない。

延命するかしないかの意思表示を促す会議。

多分病棟の意思が強いのだろうと思った。免責を得たいのだろう。特に私が、看護師や介護士の処置の不当さを具体歴記録や事実に基づいて指摘するからだろう。

N支援看護師も言っていたように、何かあったときに責任追及されないか戦々恐々としているのだろう。備忘録に、病室前にも掲示される担当看護師氏名を書いただけでビクつき訴えている連中だから。

Y医師は延命措置を限定的に考えると言っていた。もう一人のY医師や世間のスタンダードと言われるらしい、経管栄養や腎臓透析までを考えるわけではないらしい。心停止や呼吸停止による蘇生術と人工心肺の処置をどうするかということだ。

以前、別のY医師も言っていたことだが、蘇生術は、ろっ骨をボキボキ折る強さで、その折れた骨折はそのままだという。気管切除により人工呼吸は本人にとっては大変苦しいのだという。そしてそこまでして良くなる見込みはないという。

ここで気が付くのは、延命措置の非人道性の皮をかぶった、高齢者への医療費の抑制の圧力である。むしろこれが本流と思われる。

答えはいつも言っているが、できるだけ長生きして貰いたい。しかし、耐えがたい苦痛を負わせるのも忍び難い。こういうしかない。つまり、起こっていない仮定の話には決めれないということだ。そして、決めれないということは、延命措置をするということだ。また、決めても、後で変更できることだ。

現に、最初は今日別に決めなきゃならないことではないと言っていたが、最後には今日中、せめて一週間以内に決めて欲しいと。改めて会を持つと。しかし、時間をかけても決めれないものは決めれないのに、どうして無理に決めさせようとするのか。そこには別の意思を感じるのである。

ともかく決めれないということは、延命措置をするということで、変更があれば連絡するということでカルテに付箋をするというっことだった。

単に書類による意思表示を求めるのではなく、師長や副師長、支援看護師などが同席する物々しい状況は一体どういうことだったのか。とっちが記録や証言に必要というなら、こっちもICレコーダーにとって良いかまで聞いた。

この背後には、多分、度重なる看護ミスと介護イジメを指摘したことへの反発だろう。そして、それらへの免責を踏まえての事だろう。勿論意思表示は求められるものだ。なおかつ必要であろう。少なくとも事前に考えておくのは。でも誰でも考えているものだ。そして答えを出せないこともある。それを仰々しく無理やり出させるのは何故だと思う。その答えはズバリ免責しかないのだ。

確かに平時に確認しておくべきことだ、しかし、無理に決めることではない。医療関係者の意思としては、あくまで、延命措置を希望して欲しくない、というのが見え見えなのである。本来すべての医療は延命であるということにY医師は同意していた。その延命に携わる医療関係者が延命措置の不採用を迫るとはどういう魂胆だ。かつ退院のこのタイミングで、悪化が予想される状況でもないのにだ。