#枯死が安楽死とは本当か・経管栄養における唾液や喀痰増加は必要量を本当に必要量を超えているからか・死を早めることが自然というのは不自然ではないか

在宅医や介護施設、病院などで、枯れさせるように死なすことが安楽な考え方が広く流布している。

確かに、寝たきりの高齢者など基礎代謝も低下し、必要とする栄養分や水分も減少しよう。ましてや、実際の終末期では体が栄養分や水分を欲しない。或いは受け付けないということも現実的であろう。

しかし、唾液や喀痰の増加が必要とする栄養分や水分を超えてあふれ出したものであるという根拠は明示されていない。

わかっていることは二つ。

一つは、唾液は食べ物を食べる時に分泌される。消化管を使用するときに分泌される。その量は1日2リットルと聞く。母はその殆どを嚥下できない。体位ドレナージで出せればいいがいつもは難しい(完全側臥位が助けになろう)。一部は唾液誤嚥として気管や肺に入り込もう。唾液誤嚥が必ずしも肺炎につながるわけではないが、あとでいう喀痰が多ければその不安は増す。対策は口腔ケアしかない。口腔内を歯磨きティッシュなので清潔にしてくことだ。かつて、吸引が出来なかったときは、病院でできるだけ拭きとったものだ。嘔吐反射が出る奥までだ。だからいつも清潔だと看護師にいわれていた。

二つは、喀痰は、前のブログで引用した通り、経管栄養では、「口腔や咽頭内容物による誤嚥」と「胃食道逆流による誤嚥」だ。

 

この二点を見る限り(これは医学的に正しい説)、唾液や喀痰の増加が、必要とする栄養分や水分を超えてあふれ出したものであるという説と、全く結びつかない。

 

実は、栄養分や水分が体の必要量を超えている場合は、それ以上はいらない、または。吐きだしたり逆流したりするそうだ。これを唾液や喀痰量の増加に置き換えるのは一体どんな意図だ。

 

また、栄養量や水分量を減らしていくことが安楽な状態で死を迎えれるという説も怪しい。

過剰な栄養や水分を与えることは、満腹時に更に食べさせたり。水に溺れるような場面を想像すれば、確かに苦痛であろう。

 

しかし、では水分や栄養を経ったら安楽なのか、渇きや飢えの苦しみが取って代わるだけではないか。

 

私の母は、手術室の空きがないという理由で(本当か\・ベッドサイドでもできる手術と聞いていたが)、経管ルートを作る前の一か月間、本来せいぜい一週間適用の末梢点滴でやり過ごした。腕の血管は補足脆く数時間しか持たないことも多かった両腕は内出血で真っ黒だった。(訪問看護師は抗生剤の点滴で足の血管を使って1週間近く持たしていた。病院ではなぜ腕ばかりだったのだろう)。この時の看護師の奮闘だけは感謝してはいる。

しかし、末梢点滴では必要な栄養分は入らずみるみる痩せて行った。もともと30キロぐらいだったが、23キロぐらいまで落ちて行った。

あばら骨や骨盤がくっきり浮き出てきて息も絶え絶えで、手術まで持たないと思った。或いはそういう意図かもしれないとも思った。見舞いに来た市会議員なども絶句していた。何人かの古い知人に連絡し会いに来てもらったりもしたくらいだった。

末梢点滴の栄養ですらこうである。栄養が薄いこの姿を安楽だったとは思えない。

 

また、昨年10月の入院で、栄養を900Kcalから800Kcalに落とされた。と同時に、唾液上がりが酷くなっているせいか、そのまえ