#非人道的な在宅医師とST

在宅介護とは、救急車を呼ばないことだと口をそろえて言う。どんな状態になろうと、救急車を呼ばず病院に運ばず、在宅でなおせる場合は治し、治せなければ看取るという。治る可能性もあるものも見過ごせというのは何かの信仰か狂気ではないだろうか。因みに何人かの介護関係者に話を聞いてみたが皆びっくりしていた。

家で看取るというのに救急車で病院に運ばれると、思わぬ治療をされたり最悪家に帰れず病院で看取られうるというのは理解はできる。しかし、それと医療放棄するのとは全く違う。これが覚悟というならそれはない。生かす覚悟はある。

これを在宅医師とSTは患者の枕もとで行う。長時間意図的に。火曜日は夜医師が二時間、水曜日はSTが昼一時間。

退院直後で本人も家族も休みたいときに何故そんなことをするのか。理解していようがしていまいが、本人の事だから本人を交えて話すのだという。たとえ認知症であろうと意識がなかろうとである。これはもう狂気だ、いや昔こんな粘着な人たちを見たことがある。偏見とそしられようが事実ではある。ある種の主義者と特別支援関係者である。やはりこの人たちは民医連関係の人か。完全側臥位の親玉はそうである。

この時でなくともといったらこの時がタイミングだという。嘘つけ、医師はともかく(医師は当日退院を聞いたといった。それは私のせいではない。ケアマネか訪問看護の連絡だろう。手名付けられていないそちらの責任だろう)、STは本来来る予定ではなかったはずだ。当日ケアマネから連絡を受けていくことになったとケアマネ自身が言っていた。

在宅医と言っても、バイタル以外の医療行為的なことは注射一本打っただけだ。在宅でどの程度の医療行為を出来るのかいまだに不明だ。STも、食べさせる力量というのは確かに稀有なものだが、それを見極めること以外の、リハビリは殆どやらない。

んで覚悟を決めたか、方向が決まったか聞くばかり。方向が決まらないから周囲が困ると、そんな話ばかりで毎回患者や家族を苦しめる。患者は話の内容を理解しているかはわからないが、不穏な空気を察して不安げに私を見つめ、眉をひそめて医師やSTを睨む。それさえ感じ取れないのか。退院してきたばかりの患者や家族にストレスを与え続けることが在宅医療なのか、在宅リハビリなのか。全く信じられない。

答えはいつも一緒だが、自分たちの考えにあわないから、あうようになるまで聞くのだ・押し付けるのだ・洗脳しょうとするのだ。